■出生時のサイズ
現在のサイズ |
身長46.5cm、体重2494g、頭囲31cm、胸囲31cm 身長101.0cm、体重11.2kg、頭囲39.5cm位、胸囲47.0cm 足15cm |
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■症状
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・小頭症・脳回形成不全(滑脳症)・脳梁低形成・小脳低形成 ・てんかん ・斜視(視力右0.07 左0.11 両目0.15くらい) ・喘息 |
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■手帳 | 療育手帳と身体障害者手帳を持っている | ||||||||||||||||||||||||||||
・あまりに頭が小さいため、出産をする母にとっては超がつくくらい楽な出産でした(陣痛が始まって2時間15分で誕生)。 ・出産した病院の退院診察で頭囲29cmと計測され「頭が小さいのが気になる」といわれた。そして「頭のことだから特に心配なら子ども専門の病院を受診してみたら?」と言われる(そんなこと言われて心配にならない親は居ないだろう!)。 ・千葉県こども病院脳神経外科受診→CT・レントゲン・MRIにより外科的には問題がないことが判明。ここで、「将来立てないかもしれないし歩けないかもしれないしお話しできないかもしれないし何ともないかもしれない」と言われたので「そうか、何でもないかもしれないのね♪」とのんきな子育て開始。 ・2000年10月、内科である神経科に転科。受診開始。 ・2001年1月にとった脳波でてんかんらしいスパイクを2本認める。 ・月に一度受診。現在に至る。 ・具体的に言うと 「脳梁低形成・脳梁欠損」=右脳と左脳をつなぐ橋のようなモノが細くて部分的に欠損している 「脳回低形成(脳回形成不全)」=「滑脳症」(しわが少ない) 「小脳低形成」 |
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・症候性局在性部分てんかん ・脳神経外科で小頭症と診断されたとき、てんかんになる可能性は高いと言われた。そのころから「てんかんかな?」と思うような怪しい動きを母は認めていた。しかしその現場を見たことがない父と主治医は「胎児性の反射でしょう」と取り合ってくれず、一応脳波を撮る(2000.10)。この時、怪しい波は認められず。 ・父親が怪しい動きの現場を認め、2001年1月にとった脳波で怪しいスパイク波を2本認めたため、抗てんかん薬を服用開始。 ・デパケンシロップのみからスタート。 ・1歳半の時、てんかんの公費負担の申請をしたが「判断できる年齢に達していない」という理由で申請は却下された。でも1歳に満たない子の申請は通ったという事実がわかる(判定を行った審査員が悪かったと保健所の保健婦さんに言われた)。 ・発作はだいたい3ヶ月に2回程度。1回の発作は10秒から30秒程度だった。 ・のちに発作の頻度が月1〜2ヶ月に3回になる。また1回の発作が1分間から3分間くらいになる。 ・よってデパケンシロップ(バルプロ酸ナトリウム)をベースに様々なモノを併用。 14.1〜アレビアチン(フェニトイン) 14.2〜エクセグラン(ゾニサミド) 14.9〜マイスタン(クロバザム) 14.11〜ベンザリン(ニトラゼパム) 14.12〜マイソリン(プリミドン) 15.8〜メンドン(クロラゼプ酸二カリウム) 21,2〜リボトリール(クロナゼパム) ・現在はデパケンシロップ9mLとメンドン7.5mgを服用中だがメンドンが効かなくなってきているようなのでリボトリールを併用しお試し中 ・ちなみにメンドンは抗てんかん薬ではない。抗不安薬であるメンドンの副作用を利用している ・寝ているときに発作を起こすことからなかなか眠れない赤ちゃんでした。なので毎晩トリクロリールシロップ(誘眠剤)5mLを飲ませています。→2008からトリクロは7mLに増量 |
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・脳波による検査の結果、視神経は白くて細いけれど視力は有るらしいので2002.11.1左目の左右について手術をする。 ・それでもあと3回は手術をしないといけないらしい。 ・アイパッチなどで両目を使う訓練もした経験有り。 |
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■喘息について | ・2002.3喘息の発作を起こし発入院となる |
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■手帳 | 療育手帳と身体障害者手帳を持っている | ||||||||||||||||||||||||||||
・2002年3月25日(1歳7ヶ月=19ヶ月)に判定を受ける ・4〜5ヶ月児程度の発達ということでA-1(重度)判定 (5÷19=0.26 という計算で判定される) ・2年後の2004年3月24日(3歳7ヶ月)再判定 ・精神的にも身体能力的にも5ヶ月児程度ということで、○A(最重度)判定 ・次回の更新まで4年にしてもらう→○Aだと更新までの期間は2年〜6年だが6歳未満の場合どんな場合でも2年だそうです。 しかし「こういう重度の心身障害児を更新のために連れて歩くのは大変なので是非6年にして欲しい」と頼んでみたところ「じゃあ4年で我慢してください」と言われ4年にしてもらった。ダメ元で言ってみるものですネ) ・2008年4月10日(7歳8ヶ月)再判定 ○A(最重度)判定
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・2002年7月3日交付 ・身体障害者等級表による級別:1級 (先天性による両上肢機能障害1級・移動機能障害1級) ・旅客鉄道株式会社旅客運賃減額:第1種身体障害者 ・主治医の診断書が必要なため自分で勝手に取得申請は出来ないため、はじめ主治医に「身障者手帳は3歳になってから」と言われていた。 ・けれど喘息になり、吸入器と吸引機が必要になったため急遽2002年6月に診断書を書いてもらう ・2006年6月障害程度変更のため再判定。本当は5年後である2007年7月に再判定だったのですが、学校で使う車いすを作る際「体幹機能障害」がついていないと体幹を支えるためのパーツについては自費になってしまうため1年前倒しで申請。 ・先天性による両上肢機能全廃(1級) 体幹の機能障害により座っていることができないもの(両下肢機能全廃を含む)(1級) に変更。 →全廃という表現は見る人によっては辛い表現だと思うかもしれません。でも、私達にとっては実際の状態より軽く表記される方が、必要な装具が自費になったりする可能性があるので返って困る事になります。ココに書かれている状態になっていくというわけではないので「全廃」という表現については私達家族は何とも思っていません。「これでますます立派な障害児(^-^)」と言っちゃうくらい(^_^;) |
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■訓練・療育
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2001年6月(9ヶ月) 保健所の保健婦、低体重健診の心理士に勧められ、また主治医にも「児童発達支援センターのPTは良い」と言われPTを受けるため入園しようと説明を聞きに行く |
最近の僕 2009.03
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